25-12-17 09:21
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我が社、「急ですみませんが」という前置詞をつければ何を言っても許されるという風潮が蔓延している。そんなわけねーだろ。
投げ出すことに良心の呵責がない人が羨ましい。うちの同僚など。煽りとかじゃなくてマジで羨望です。
というのも、周りを見ると思ったより人はタスクを投げ出してるんですよね。ゲ制を誓った者は知らぬ間に諦めており、実況動画は失踪し、なろう小説の大半は「この連載作品は未完結のまま約1年以上の間、更新されていません。」になっており、Scaleboundは頓挫し、我が社の5年かけたプロジェクトも中止になった。
ただ一片も日の目を見ずに死ぬのと、連載途中で死ぬのは結構違うという話もあるよね。連載って、小ピースごとには完結した部品として見ることもできるからさ……。
うーむ( ◠‿◠ )
すべて投げ出して楽になりたい。
と、書いた時、気付いた。この文章は多義性があるということに。
つまり、投げ出した「結果」として楽になるという因果関係なのか、投げ出して「かつ」楽になるという並行関係なのか。後者の場合、投げ出した結果はむしろ「楽になれない」ということにも成り得る。というか、そうなのです。すべてを投げ出すと人は楽になるどころか苦しむ。自由の重みに耐えきれず。だから「すべて投げ出す」と「楽になる」は、ほんとうは因果で結ばれ得ない関係なのです。それを乗り越えて「すべて投げ出して楽になりたい」という表明なのです。投げ出すという事に負い目を感じずに投げ出したい。本来そうしていいはずなのだから。バナナが欲しかったのに、手に入れてみたら、バナナを握ったゴリラと、それにジャングルまでついてきた。わたしは500万年の継承者。わたしは80億人との同居者。わたしは二度と個になれない。
涙が軽いシャイポスキャラランキング1位、小紫桃果。最下位、広瀬実唯菜。
実唯菜って泣きましたっけ?一度でも。ホスポタリティの擬人化みたいな存在だから人前で涙を見せた記憶がない、解散する時でさえ。実唯菜を号泣させたい。
涙が軽いキャラは魅力的に成り得ないということがわかってきた。テメーだよ桃果。ちょっとしたことで泣くキャラはいざという時に涙でポイントを稼げないから。対極的なのが凪です。彼女は普段まったく泣かないくせに、解散の時は泣いてくれるし、なにより「武道館ライブ成功」で涙を流す数少ないキャラなんですよね。ていうか唯一じゃないか?青天国とかですら泣かないのに、あれだけ人生に熱量がないことに悩んでいた凪が、武道館成功で泣けるようになったんですよ。あゝ……。
石川由依さんの声って本当に、本当に本当にかわいいですよね。クオリア類似だと折笠富美子を思い出す。共通するのは一見大人っぽいけどよく聴くとすごくadorableであるということです。この特徴を持つあらゆる声が好きです。
エグいて。広橋涼を聴いているときと同じ癒やしを感じる。
東江凪……。東江凪といい中原岬といい椎葉紬といい東城綾といい、漏れが入れ込むキャラは姓名2:1比説がある。
NHKのすごいのは、漫画版はともかくとして、アニメや原作だとほぼ完全にソロヒロインであることよな。これが意外と少ないんすわ。ソロであるが故に存分に入れ込めるのがNHKの良いところだと思う。
ギャルゲとかエロゲのマルチヒロインと、その他の媒体のソレはかなり性質が違う。前者の場合はルート分岐に入ってしまえばもう実質そのキャラ一本になって他のヒロインは邪魔して来ないが、漫画のラブコメとかだとそういう専修が出来ないからずっと多数の女といったりきたりすることになる。ハヤテのごとくとかネギまとかニセコイとか。良い悪いじゃなくて性質が違う。後者は競馬に近い。ラブにあんまり本質が無くて、どの競走馬が勝つかという賭けの滾りだろあれ。本質的なのはソロヒロインとか選択制ヒロインだなと思う。
よく言ってることなんですが、大衆評価の「良い」はあてにならないけど、「悪い」はだいたいあてになります。
現世最大のミスコンセプションとして、評価の「良い/悪い」がただ反転したものであるというものがある。「幸福と不幸」と同じく。
多くの人々は、不幸が幸福の反対だと考えています。でも実際には違います。
不幸感と幸福感はそれぞれ異なる脳の半球で処理されています。幸福感は一方の脳半球で、不幸感はもう一方の脳半球で処理されます。
アーサー・ブルックス
つまり、マスの「良い」の精度と「悪い」の精度がまるで違っていてもおかしくはないんですよ。「悪い」の精度だけ信じてください。相当人数にボコボコに叩かれてる作品があれば、それは「どこが悪いか」を言語化出来てることが多く、かつ一般に正当性のある批判になっています。
もう少し具体的に言うと、「良い」の言語化って人によって違いすぎるんですよ。傑作映画のレビューを見てみても統一性がまるでないと思う。でも「悪い」の言語化はある程度統一される。誰が見てもおかしい点があって、そこが指摘されるわけです。
間違えてはいけないのは、「悪い」とは「叩かれてる」ということですよ。たとえば再生数10の曲は別に「大衆評価が悪い」曲ではない。それはneglectedな曲であって、criticizedな曲ではないから。
つまり、鬼滅の刃が面白いという大衆評価は個人スケールではほぼまったくあてにならないが、約束のネバーランド2期の最終回がひどいという大衆評価は個人スケールでもある程度信頼できるということです。
大衆評価の「良い」の理由は散漫だが、「悪い」はコンクリートである。これだけ覚えて帰ってください。「評価されない」のと「悪く評価される」のも違うということも覚えてください。

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